ドッグヴィル

「ドッグヴィル」見ました

『ダンサー・イン・ザ・ダーク』などで有名な、ラース・フォン・トリアー監督(デンマーク人)が制作した「アメリカ三部作」の第一作目がこの作品。ある山村「dogville」にグレースという女性が辿り着いたことから、穏やかだった村がじわじわと変わり始める…という内容です。描かれるのは、人間が持つ「dog(動物的)」な部分の怖さ、しかし「ただのdogではない」ことによる混乱、そしてそれを許すべきか許さざるべきかという強烈な問いにあります。

あらすじ

ロッキー山脈の麓に孤立する村ドッグヴィル。村人はわずか23人。銃声音がかすかに響いた直後、ギャングに追われる美しい女性・グレースがドッグヴィルに現れる。小説家志望のトムは、助けを求めるグレースに、彼女を匿うことで村人達の他者への寛容さが築けると考え、村人達にグレースをかくまうことを提案した。その提案は「2週間で彼女が村人全員に気に入られること」を条件に受け入れられ、グレースは、トムの計画に従って肉体労働を始め献身的な働きが徐々に村人に受け入れられていく。しかし、感謝祭に配られた二枚目の手配書によって、村人のグレースに対する扱いが変わってゆく・・・。

世界観

ドッグヴィル。この映画は、まずは鑑賞してみることだと思います。3時間に3分足らないだけの長時間ですが、章でくくられた映画構成は、すっきりとしていて、長さは全く感じませんでした。内容は、単純明快、「アメリカ社会批判」。でも、その手法は、ストレートに来る場合もあれば、寓意的であったり、裏の裏の裏・・・で何層にもなっていたり。今回、鑑賞直後は、「とりあえず見てそれなりの感想」を持ちましたが、そんなに深い映画だとは思いませんでした。しかし、その後、様々な批評を見ていくうちに、線だけ引いた舞台セットと同様、そのシンプルなテーマとは裏腹に、内容ひとつひとつに、実はすごく複雑な意味が含まれていることに気付きました。単に「映画を観た」ということは、氷山の一角だけを見ただけ、その下には、大きな世界が広がっています。

概要

広い広い空間に、チョークの線だけで描かれた村。通りの名前や植物、果ては犬までも「白線」によって描かれ、物体としてあるのは多少の家具や小道具、そして人間だけです。また、ほとんど「壁」がなく、村に立ち並んでいる家々は全てシースルーで、どんなカメラワークでも死角が生まれない作りになっているのです。一歩引いて冷静に「手法」という観点だけで見れば、他にも色々と方法はあっただろうし、制作費の面や撮影上の都合もあっただろうことは想像に難くありません。が、このセットだからこそ生まれた偶然の産物も含めて、作品の語るに足る要素となっているのは間違いないでしょう。とても風変わりな映画で、9章から成り立っており、それぞれ文字でその章のタイトルと何が起こるのか予告され、シニカルなナレーションも入ります。

舞台装置

ドッグヴィルを語る際、必ず挙げられる点があります。それは、一見“手抜き”とも思えるチープな舞台装置です。ドッグヴィルはスウェーデンの巨大倉庫で撮影されたもので、「家」とか「道」とか「炭鉱」とかは、白線で区切られていて、それらは舞台装置に近い印象を受けます。

舞台装置の論議

なぜ、こんな風に論議を呼ぶのは当然、承知の上で、わざわざ舞台セットにしたのか?その意味を考えてみると・・・。まず、この映画が、実在しない町であるからだと思います。従って、リアリティを出す必要もないし、そんなことをすれば、わざわざ、架空の町をつくった意図が失われてしまいます。「みすぼらしく社会の最低なものが集まった町」という映画設定とは、逆説的になりますが、ある意味、この町は「理想郷」とも考えられます。1人でも反対がいれば成立しない町民集会は完全民主制ともいえますし。でも、そんなものは実在しないのです。だから、線と文字でしか、あらわすことができないのです。一方、その「暗示するだけの手法」が、映画に無限の広がりを与えることにもなります。ただし、それは、鑑賞者の個人的資質が大いに重要となってきます。つまり、自身の想像力、創造性が問われるのです。この意味で、監督は、とても挑戦的だと思います。

光について

照明という舞台装置のひとつとしての物理的な面もありますが、多くの人が、この映画の光の使い方について絶賛していました。まず、盲目の老人ジャック。彼は、自分が全盲であることを知られないよう、常に、「光」について語ります。しかし、それは、彼がかつて見た光であり、現在については、語ろうとしません。グレースにそのことを指摘され、その上、長い間、閉め切っていたカーテンを遠慮なく開けられる。思わず、「帰ってくれ」と拒否反応を示しますが、それは、まるで、自身ではわかっていながら、認めたくない痛いところを、グレースに暴かれ、狼狽する町の人々の象徴のように感じました。それと同時に、未来を見ない人々の姿勢も現れているかのようで、もっと本質的な意味で色々な考察ができるかと思います。劇的で決定的な役割を果たしているのが、後半の部分。グレースは、町を抹殺するか、このまま、そっとしておいてあげようか、との葛藤の中、後者に決心したかに思った、その瞬間、月の光線が、ドッグヴィルの汚さをさらけ出します。そして、グレースは、彼女の最終判断を下します。この時の光は彼女にとって、まさに天からの啓示意味します。

人間の闇

かくまわれたグレースは、ギャングへの密告を恐れるがゆえ、何事にも逆らうことができない、いわば村の人々の意のままの存在となります。退屈しきった村の人々の中に、完全な従属存在が与えられたとき、何が起こるのか?人間の欲望と理性と理想の狭間で、何が吐露するのか?「ドッグヴィル」の陰惨さは我々の想像をはるかにしのぎます。人間は、我々が思っているよりも、ずっとずっと汚らしい生き物なのです。この陰鬱な衝撃は、見ないとわからないでしょう。むきだしのセットで語られるむきだしの人間を、ぜひ、見て見ては如何でしょうか。

スタッフ

  • 監督:ラース・フォン・トリアー
  • 脚本:ラース・フォン・トリアー
  • EP:ペーター・アールベーク・ヤンセン
  • 製作:ヴィベケ・ブルデレフ
  • 撮影:アンソニー・ダット・マンテル
  • 美術:カール・ユーリウスソン
  • 音楽:ペール・ストレイト
  • 編集:モリー・マレーネ・ステンスガート
  • 衣装(デザイン):マノン・ラスムッセン

キャスト

  • Satine:ニコール・キッドマン
  • Christian:ユアン・マクレガー
  • Toulouse Lautrec:ジョン・レグイザモ
  • Harold Zidler:ジム・ブロードベント
  • The Duke:リチャード・ロクスバーグ
  • The Doctor:ギャリー・マクドナルド
  • The Unconscious Argentinean:ジャセック・コマン
  • Satie:マシュー・ウィテット
  • Marie:ケリー・ウォーカー
  • Nini:キャロライン・オコナー

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